ケアの倫理とリベラリズム―依存、生殖、家族―

ケアの倫理とリベラリズム―依存、生殖、家族― というタイトルの講座が大阪府立大学女性学研究センターの女性学連続講演会としてあり、伺ってきました。


リベラリズムは、自立した責任ある人間が個人の自由と選択を尊重する社会を重視します。一方で女性は従来から、人を育て介護するという営みを担ってきました。ケア労働を期待されたこの立場ゆえに、女性は自由な個人像に十分に適合することはできず、政治的にも経済的にも社会的にも周辺化されてきたといえるでしょう。「ケアの倫理」は、リベラリズムが生存や生死にかかわる領域を不可視化してきたことを批判し、ケアと依存の意味を問い直して「別様の社会の在り方」を構想します。本講演会は政治思想・法哲学の観点からこのテーマに接近します。


というリード文と、講演者のそれぞれのタイトルにも惹かれたのですが、お話としては、近時の事件や社会の身近な問題、たとえば、介護は女性が担うのが大前提であるかのごとく設定されている社会のシステムが自明のことなのかどうか、とか、育児は母親だけがしなければいけないのか、など、当たり前の疑問の根本的なところから、スタートしたお話なので、現実の政治や、行政の現場にどのように生かせるのかは、まだ、不明かも?、という思いを抱きながら帰宅しました。


ただ、岡野八代(同志社大学)さんが、「シングルマザーの世帯が税金や保険料をおさめれば、かえって貧困率が上がる。そんなところで子育てはしない方がよい。こんな国では…」とか、内藤葉子(大阪府立大学)さんの「男女を前提の規範的な家族、そこから母子家庭ははじき出されていく。別の家族像を出していってもいいのではないか」など、母子世帯のおかれている状況から、この国の問題点を既に認識済みかもしれないが、指摘されていくのは、よくわかります。

ある、一定の価値観、家族観に偏ると、そこからはじき出される人たちを支援することさえ見えにくくなるのかもしれません。

2018年10月06日