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選択的夫婦別姓…請願採択、意見書提出へ

本日は、予算特別委員会全体会と定例会の本会議、最終日でした。

新型コロナウイルス対応の西宮市議会災害対策支援本部を設置するなかでの定例会でしたが、一部日程をずらせただけで、最終日も新型コロナウイルス対応の補正予算案が2本入り30分早くはじまったものの、予定どおり、終了しました。

私は、例年の3月議会とほぼ同様ですが、何本かの討論。

特に、請願として出された「『選択的夫婦別姓の導入へ、一日も早い民法改正を求める意見書』を国に上げることを求める請願」の意見書案に対する賛成討論は、民法750条について2015年の「合憲判決」に関連するものでもありました。

2015年の最高裁判決は、多くの民法(家族法)や憲法の研究者も「違憲判決」を予想していたのですが、大方の予想に反して司法消極主義とも言える「合憲判決」だったので、少し力を入れて今夜半まで原稿書いておりました。少し長めになりましたが、削減する箇所が、一か所ぐらいしかなかったので、夜中の原稿ほとんど、そのまま、檀上で朗読しました。(この一番、下段に貼り付けます)

三権分立の司法から立法府に投げ返されたボールを受け止めるべき、ということで、この意見書は、賛成しなければならない、ということを言ったつもりですが、はたして、反対の方々にはとどいたのでしょうか。

「婚姻は、両性の合意のみに基づいて」という憲法24条の文言を素直に読めば、反対討論のなかの家族の一体論とか、果ては戸籍とか個人番号制度とかを引き合いに出すなど、そのこと自体が明治の家父長制の残滓(のこりかす)なのだ、という事に気づいておられるのかどうか…。

残念な反対ではありました。(しかし、それにしても、個人番号制度って、姓に関係なく個人番号で紐づけできるから便利なんじゃなかったっけ?反対理由になんのかなぁ)

ところで、本会議のあと、理事者席のある幹部が私に「討論、よかったです」と一言声をかけてくださった。

こんなこと、13年目にして初めての経験だったので、少し、ウルっとなったのでした。

 

「選択的夫婦別姓の導入へ、一日も早い民法改正を求める意見書」案について、賛成の立場からの意見

同趣旨の請願が出され、その請願事項は、「選択的夫婦別姓制度の導入へ、民法改正を求める国への意見書を提出する事を求めて」おられるものでありました。

3月12日の民生常任委員会において本請願は、賛成多数で採択されております。

そもそも、現行の民法に従って行われているこの国の夫婦同姓の強制は、明治時代の後半、1898年明治31年施行の民法によって、始められたものです。

それまでの武士あるいは貴族が政治の中心にいた長きにわたる時代、町民や農民のほとんどは姓、苗字を持つことを許されていなかったのを、1870(明治 3)年、明治政府が一般市民に苗字を称することを許し、その後 1875年には、苗字を称することが義務化され、翌 1876(明治 9)年の太政官指令において、妻は夫の「家」を相続する場合は「夫家ノ氏」を称するが、それ以外は「所生ノ氏ヲ用ユヘキ事」つまり、生まれた家の氏を用いるべき、とされました。

しかし、1898(明治 31)年に民法が施行されると、いわゆる家制度が始まり、同時に夫婦同姓も始まったのであります。「家」に「氏」は一つであり、民法 746 条で「家の名を氏といい,戸主および家族は,すべて同一の氏を称する」とされました。

この同じ、旧民法には1947年の改正まで、第14条で「妻の無能力」規定も存在していました。女性は婚姻して夫の家に入ると、契約や相続などの法律行為を行うには夫の許可が必要で、妻一人で法律行為を行うことができないという差別規定が存在していたのです。

これらの一連の文字通り男尊女卑の差別的民法の条項は言うまでもなく、明治時代、女性に参政権もなく、選挙権もない時代に男性のしかも一部の特権を持った男性が女性の人権など顧みることなく男性による男性のために作り上げられた法体系でありました。請願者が現在の男女平等度ランキング121位という点をあげておられますが、まさに、この点は、現在もこの明治民法の影響が続いているといっても過言ではないのかもしれません。

戦後、この女性が男性の姓を名乗らなければならない条項は、民法 750 条の改正で「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する」と改正されましたが、請願者のご指摘どおり婚姻の際、96%の女性が夫の姓となり、改姓による不利益・不都合はほとんどの場合女性だけに負わされています。請願者が指摘する間接差別がつづいているといえます。

間接差別とは、一見性別が関係ないように見えるルールや取り扱いでも、運用した結果どちらかの性別が不利益になってしまう扱いのことであり、夫婦同姓の義務付け自体が間接差別の結果を生み、憲法14条および24条に抵触する結果を招いています。

それは、いいかえれば、旧民法、明治民法の残滓、残りカスがもたらした状況であります。

 

しかし、戦後、1955 年の法制審議会民法部会第 2 回で、「夫婦異姓」を認める案が議論されはじめていました。

1980 年代に入ると、結婚改姓に疑問を持つ女性たちが、少しずつ声を上げ始めていました。

そして、1991 年の法制審議会では、婚姻及び離婚制度の見直しのための検討に入っています。

1996 年 1 月には、法制審議会民法部会が民法の一部を改正する民法改正要綱案を決定し、民法 750条の改正案は、「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫若しくは妻の氏を称し、又は各自の婚姻前の氏を称するものとする」という文言となりました。 同年 2 月、選択的夫婦別姓制導入と非嫡出子の相続分差別撤廃を主な内容とする民法改正要綱案が法務大臣に答申されました。

しかし、政府・与党自民党内での反対が強く、6 月に国会提出は見送られたという経緯があります。

一向に動かない国会への失望とともに、2011 年に女性 4 名と男性 1 名が原告となり、民法 750 条を憲法違反として東京地裁に訴えました。しかし、2015 年 12月、最高裁でも訴えは却下された。

しかし、1996 年の民法改正要綱案の中で、非嫡出子の相続分差別の条項は、その後改正に至っています。

また、離婚後 6 か月経過しなければ再婚できないという女性への差別規定であった民法 733 条(いわゆる女性の再婚禁止期間)は、2015 年の上記と同じ時に行われた最高裁判決を受けて、再婚禁止期間が離婚後 100 日へと縮小されました。結果として、夫婦別姓の問題だけが先送りされています。

国家が個人のライフスタイルを画一化して文字通り同調圧力をかけたのが明治民法の中で刷り込まれたパターナリズム、言い換えれば家父長制度でありました。その制度が21世紀の現在も存在しているかのごとき錯覚をさせた一例が、かの1月の国会で選択的夫婦別姓に関する質問にたった議員にたいして「だったら結婚しなくていい」という自民党議員席の方からとんできたヤジでありました。なんと偏狭な考えなのかと思います。同姓でなければ結婚しなくていいと。

しかし、この請願、意見書の趣旨は、あくまでも選択的夫婦別姓を求めるものであります。言い換えれば、同姓を選ぶのも、別姓を選ぶのも自由でいいではないですか、ということです。

中日新聞が2015年に行った「選択的夫婦別姓についてどう思うか」という読者アンケートではー

「自分たちは夫婦同姓がよくて、他の人も同姓であるべき」とした人は、男性全体の30.4%、女性は10.4%でありました。

それに対して、自分たちは同姓がいいと、あるいは別姓がいいとしても、「他の人が別姓を選択するのは自由だ」と答えた人は、男性 66.9%、女性はじつに、85.8%にのぼりました。

つまり、もとより私的領域の民法が個人の姓に何を名乗るのかを規定すること自体に制度疲労がおきているのであり、人が他人に自分と同じ価値観で姓を規定することの不自由さに、多くの人が気づきはじめています。

 

2015年の最高裁判決後も別姓を求める裁判が続いています。2017年、日本人と外国人との結婚では同姓か別姓かを選べるのに、日本人同士の結婚だと選択できないのは「法の下の平等」を定めた憲法に反するとして、東証1部上場のソフトウエア開発会社「サイボウズ」(東京都中央区)の青野社長らが、旧姓から結婚にともなって改姓したことによって生じた具体的な損害の賠償を国に求めた裁判を起こしています。「働き方が多様になった方が働きやすくなるのと同じで、姓も選択できる方が生きやすさにつながるはず」とのべています。(この、サイボウズの青野社長さんの部分は、読まず。このブログにだけ、原文のまま、載せておきます)

裁判はこれからもつづきますが、まず、国は19世紀の残滓を見直すべきでしょう。

2015年の最高裁判決は、国に極めて広い立法裁量を認め、司法消極主義にたった判決といわれています。

言い換えれば、三権分立の役割分担を国会に問い直したということです。

その意味でも、「民法改正を求める国への意見書」はぜひ、上げるべきであります。

以上、ご賛同いただきたいと思います。

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