酷暑が残るこの8月下旬。
姻戚にあたる90歳代の親類女性の訃報が入り、葬儀に参列。
自宅介護で最後の数年、意識はあるが、体が言うことをきかない最後、どんな思いで暮らしておられたのだろう。そして、人生に悔いはないだろうか、などの思いがめぐりました。
そして、また、その最後数年の生活のすべては、長女がみていました。
看取って喪主の席に座る彼女の表情は、淡々として、しかもホッとしたように見て取れました。
それは、こちらの推量にすぎませんが。
介護保険のサービスは利用しながらも、直接かかわった者にしかわからない疲労感は察してもあまりあるのかもしれません。
ところで、西宮市議会の各常任委員会では、毎年、施策研究テーマを設定し、深く掘り下げ研究して、市当局に提案、提言するという事になっています。
今年、私は、健康福祉常任委員の一人として、介護される側だけでなく、介護人の側のしんどさに対して、市ができる支援は何か、などを考えることも必要ではないかと研究テーマにするべきではないかと考えています。
葬儀での、疲労感と安堵感の混じったような彼女の横顔を見て、その思いが強くなっています。