3月議会定例会の、一週間前議運を傍聴しました。
本日の議運では、3月議会で提案される議案の説明に続いて、これまで続けてきた協議事項のいくつかの項目の引き続いての協議もあり、そのうち、特に図書室の図書関連経費の協議が気になったところです。
そもそも、議会の図書室(あるいは図書館そのものの存在意義といってもいい)の設置目的や私たち議員だけでなく利用できる施設としての価値などから考える会派(特に、公明党の大原委員の発言は感動的でさえありました)と、そうではなく、ただ、削減ありきの議論に収れんさせようという雰囲気の会派があり、双方の議論は次元が異なるように感じます。
議運に私の席のあった1月半ばまでの協議でもそれは、同様でした。
議会費として削減を迫るのであれば、政務活動費などの議会費の支出項目の再検討から私は始めるべきだ、とその点は、1月の議運でも触れたところです。
図書関連費を削減する側の会派の論理としては、ネットでとれる書籍や他の部署などで代替可能なもの、また、貸出実績をみて、その削減をはかるというもののようです。
貸し出し実績、というのは、みるからにおかしな基準で、図書室で一回一回、その場で図書や資料を読んでいる人までは、カウントされておらず、“実績”を見落としていることになります。
また、代替可能なものはいらないんじゃないか、というのも非常に乱暴な議論だと感じます。
私たち西宮市議会の議員には、年額144万円が交付されます(使い切らない部分、残余の額は、年度末あけに市の財政に返還することになっています)。
その政務活動費年額144万円を丸ごと満額超える額として議員一人の「市政報告」に充てて計上している人が昨年度分でいえば、3人(そのうち1人は新人の一年目で116万円)いることを、1月の議運では指摘しておきました。無論、全額使い切ることが悪だといっているのではありません。
しかし、西宮市議会では支出についての「手引き」があり、市政報告、と言えば何でもOKというわけではありません。
市民からは、選挙の宣伝じゃないかと指摘されることも少なからずあります。そこに、144万円を丸ごとつぎこめる人が、一方で、議会全体の議員や議会事務局職員、一般の市の職員、退職した元議員、市政記者などが利用する大きな財産でり、資料の宝庫に削減を目標に切り込むことのおかしさは感じないのでしょうか。
しかも、代替可能なものは、削減対象とするという。
代替可能だというなら、議員の市政報告はほとんどネット検索や市政ニュースその他の市の発行物などで代替可能です。
「すべて市政に関連するもの」と、ご丁寧に、上記3人のうちの一人は、政務活動費の報告書の中で言い切っています。市政に関するものなら、代替可能なのではないでしょうか。
代替可能なら、図書費の論理でいえば、支出する必要はない、と言えます。
市政報告のなかで、まったくオリジナルな誰も知らない市政に関する情報など通常ありえないわけですし、通常、議員が知りえた情報は、どこかに必ず、載っている、つまりは、代替可能な媒体があります。
オリジナルなものがあるとすれば、それは特ダネですね(でも、そんな特ダネはまだ、「市政報告」で見たこともありません)。
それでも「議員の市政報告も代替可能なので、支出の必要もない」ってこと、自らは言わないようです。
もし、全くどこにもない情報を初めて自身の市政報告に載せるのであれば、それは、もはや「市政関連」の情報とは異なる内容になっているかもしれませんが、それは場合によっては、「政務活動費運用に関する手引き」に抵触してくる場合がでてくるかもしれません(これは、ぜひ、市民の皆さんにチェックをお願いしたいところです)。
いずれにしても、毎年144万円を自分一人の広報・広聴費に使い切り、ポスティング代にまであててしまう議員が一方で何万円を削減したいのか存じませんが、多くの職員や議員が利用できる図書費の削減を声高に言い続けることの違和感はどこまでも残ります。
念のため、私自身は、「よつや薫の市議会報告」を不定期に発行しておりますが、自身の私見やコラム、市議会報告会のお知らせ、プロフィールなどを載せることもあるため、市民の疑義を招かないためにも、一切、政務活動費(広報広聴費)からは支出したことがありません。また、ポスティングには、市民のボランティアの手を借りて、一切、公費(政務活動費)を使っていません。
あり合わせの子芋、人参、鶏肉、スナップえんどうの煮物。