西宮市議会では各常任委員会でその年の施策研究テーマを決めて、市への提言にむけて調査研究をしています。
私が所属します健康福祉常任委員会の今年のテーマは3つあり、そのうちの一つに「ケースワーカーの効果的な活動による生活保護行政の運用について」があります。
先月の参議院予算委員会では、新型コロナの感染拡大によって生活に苦しむ人たちへの対応を求められた際、菅首相が「政府には最終的には生活保護という仕組み」があると述べたことについては、各方面から違和感や批判の声があがりました。
私も、あの発言には、このコロナ禍にあって、また、この国の生活保護制度がわかって述べたのだとすれば、本当に心のない人が首相をしているのだなと感じたしだいです。
この点、NPO法人ほっとプラス理事で聖学院大学客員准教授(社会福祉士。生活困窮者支援ソーシャルワーカー。専門は現代日本の貧困問題と生活支援)の藤田孝典さんは、以下のような文章をネット上にあげておられるので、長い文章ですが以下、貼り付けます。
今回はなぜこの発言が問題なのか、日本の生活保護制度について問題点をわかりやすく見ていきたい。
大事な話なので、少々専門的にもなるが、最後までお付き合いいただきたい。
日本の生活保護制度には「補足性の原理」というルールがある。
これは生活困窮している場合、まずは資産や稼働能力、扶養できる親族の力などを借りても、なお最低生活が送れない場合に限り、その足りない分を支給するというものだ。
資産といえば、預貯金、証券、土地・家屋(居住用不動産は原則保有可能)、自動車(条件付きで保有可能)、貴金属類、返戻金の多い生命保険などが該当する。
そのため、預貯金などは原則保有が認められておらず、蓄えが底を突いてから要保護性が認められる。
諸外国はここまで預貯金がなくなるほど追い詰めずに生活保護(社会扶助)を適用して支援を実施する。
例えば、ドイツの社会扶助(就労能力のない生活困窮者)の場合
適切な広さの持ち家、家具、老後資金は保有可能。自動車は職業訓練や就労に必要不可欠とされる場合に許可。現金は基準需要額(最低生活費)の2倍、パートナー及び被扶養者は1人当たり基礎需要額の70%まで保有可能。
ドイツの失業手当Ⅱ(働くことが可能な生活困窮者(15~66歳))の場合
適切な広さの持ち家、家具、老後資金は保有可能。自動車は職業訓練や就労に必要不可欠とされる場合に許可。現金は基準需要額(最低生活費)の2倍、パートナー及び被扶養者は1人当たり基礎需要額の70%まで保有可能。
イギリスのユニバーサルクレジット(18歳~年金受給年齢未満)の場合
主たる住居や事業用資産等は保有可能。現金1万6000ポンド(約227万円 ※1月23日時点)以下は保有可能。ただし、6000ポンドを超える部分については一部収入認定。
日本ではこれら預貯金を使い切ってから保護申請に至るので、蓄えはなく、それゆえに働いて生活保護から脱却する際にも時間がかかる。
ここまで厳格に預貯金の保有を認めない国は先進諸国で類例がないといってもいいだろう。
つまり、日本の生活保護制度は極貧状態に陥らなければ、手を差し伸べない仕組みともいえる。
そして、日本の生活保護の最大の欠陥ともいっていい「家族主義」である。
まず家族や親族の扶養が生活保護に優先する、となっており、原則として、配偶者間、親子間、兄弟姉妹間、その他3親等内の親族まで扶養を求められ、照会されることになる。
生活保護を申請すると福祉事務所は、これら親族に「○○さんが生活保護の申請をしましたが、経済的な援助ができますか?」と問い合わせやハガキの送達(扶養照会)をすることとなる。
もちろん、親や兄弟は出来る範囲で援助すれば良いことになっており、照会を受けた親族は、金銭的に余裕がない場合、援助を断ることができる。
ほとんどの場合、親族も扶養などできないのだが、原則的に扶養照会を実施している。
その一方で、厚生労働省は「扶養義務の履行が期待できない者」に対しては、扶養照会をしなくてよいと通知を送っている。
具体的には、扶養義務者が、生活保護利用者、福祉施設入所者、長期入院患者、働いてない人、未成年者、70歳以上の高齢者、20年間音信不通の者等の場合である。
その扶養義務者から虐待・DVを受けた場合は、むしろ連絡してはいけないことになっている。
諸外国ではこのような範囲での扶養照会は実施していない。
そもそも、扶養義務の範囲が狭いからだ。
イギリスでは配偶者間(事実婚を含む)、未成熟の子(16歳未満)に対する親のみである。
フランスの場合は、配偶者間、未成熟の子(事実上25歳未満)に対する親のみ。
ドイツも配偶者間、親子間、その他家計を同一にする同居者である。
つまり、日本のように嫌がらせのように幅広い親族に困窮している事実を知らせて扶養照会するなど、そもそも本人の人権侵害である。
先進諸国は当然、このような権利侵害を行うことはしていない。
1月27日に筆者は女性支援者とともに埼玉県内で生活困窮している女性の相談を受けた。
その後、生活保護申請に同行し、即日で保護申請が受理された。
しかし、彼女は以前に福祉事務所で生活保護申請できずに追い返されている。
しかし、福祉事務所に拒絶されている。
いわゆる典型的な「水際作戦」であり、未だにこのような違法行為を福祉事務所が公然と行なっている。
彼女の言い分が事実ならば、深刻な人権侵害、生存権の侵害である。
これら福祉事務所の対応に絶望した彼女は、生きる術がないと諦め、昨年末にビルから飛び降り自殺を図っている。
幸いにも足を複雑骨折するだけで一命を取り留めたが、医療費のアテはないので、今も足に痛みが残っている。
彼女は明るく笑顔が素敵な人である。
本当に生きていてくれてよかったと思っている。
これは特異な事例だと思われる方もいるかもしれないが、筆者のもとには全国から同様の福祉事務所の違法、無法ぶりを指摘する相談が相次いでいる。
福祉専門職として、これら福祉行政の違法性を糾(ただ)し、適正運用を求めていく仕事になるが、あまりにも相談が多い。
つまり、生活保護を受けたくても窓口で追い返される事例が散見されている。
厚生労働省も厳しく「水際作戦」をしないように再三戒めているが、効果が見られない。
要するに、日本の生活保護制度は受けにくいだけでなく、なるべく受けないように排除する傾向が止まない。
この状況でいくら菅首相が「最終的に生活保護がある」と述べても、何ら説得力がない。
そう発言するのであれば、現状の生活保護を諸外国同様、受けやすいように、すぐに改変する努力を見せるべきだ。
もう口だけの生活困窮者対策、困窮者支援にはウンザリである。
(以上、藤田孝典さんの文章より)
ほうれん草の卵とじ。本文とは無関係です。