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あらためて“国葬”について…

本日の写真ではなく春先のころ。ジョウビタキさんです。西宮の街中でも見られてうれしいかったのでした。

さて、国葬ですが。

法的根拠がないことに国費をかけて行うことや、元首相の功罪の評価が分かれるなど、いろんな批判も日々、つのっているところですが。

そもそも、お葬式とか、死者を悼むとか、一人一人の心の営みや葬送の形式に対して、国単位でどうこうすること自体にやはり、違和感は拭えません。

1995年1月17日の阪神淡路大震災の折、ご近所でも、何人もお亡くなりになりました。

直接的には、存じあげていた方ではありませんでしたが、発災から、何週間か経って、その全壊のお宅の前を通りかかったとき、玄関先に牛乳瓶に花が一輪だけ、供えてあるのを目にしました。ご夫妻お二人がその自宅でお亡くなりになっていたのでした。
思わず、合掌せずには、おれませんでした。

あの日、あの時まで、お元気でおられたのに、突然なんの予告もなく理不尽に奪われた命。

生き残ったものの申し訳なさも、その合掌に含まれていたかもしれません。

あの当時、夥しい牛乳瓶の一輪差しがそこここにあったのではないかとも思います。

にぎにぎしい“国葬儀”という儀式を行おうとする政府の動きのなかで、通りすがりに一輪差しに自然に手を合わさざるを得なかった27年前のモノクロの風景が何度もよみがえり、そこに生き、生活されていた人を悼む気持ちとの落差の大きさを感じています。

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