朝、突然母が「3月17日は…。神戸大空襲の日やわ」と
近頃は「今日は、何月何日か?」とよく私に聞き返す母ですが、珍しく今日は「3月17日、神戸大空襲の日やわ」と自分から、つぶやきました。
1945年3月17日、当時16歳。
当時、両親と妹たちと神戸市兵庫区の神戸市中央市場近くに住んでいた母は、女学生として国鉄(現JR)鷹取の鋳物工場に動員され、鉄道部品を作らされていました。
鋳物工場での作業の話は、もう、何十年の間、何百回も聞かされていたのですが、三月の神戸大空襲についてはほとんど、語ってこなかったので、非常に貴重な一日の始まりでした。
「とても怖かった」「その大空襲のあった後も何回も何回も空襲があった」
今、ウクライナの市民がいつ命を奪われるかもしれない状況にさらされていますが、78年前には、日本の各都市でそんな状況があったという事実です。