社会のあらゆる場面で、新型コロナウイルス感染症対策、対応を迫られ、生活が大きく揺さぶられ、命の危機や経済的破綻に瀕している方も少なくないことも言うまでもありません。
そんなさなか、政府が上程した「検察庁法改正案」は、時の政府が扱いやすいと考えられている人物(62歳)を検察庁法が定める定年63歳になる直前(本年1月)に閣議決定でその定年を延長させ、定年65歳の検事総長の次期ポストにつけさせようと画策した流れに発する後付けといわれています。
そんなことをやっている場合なのか、という点と、やり方そのものの姑息さと、そして、何よりも検察官の特殊性、独立性に鑑みて、そこまで恣意的な人事が許されるわけがない、ひいては民主国家の統治機構の基本である三権分立が壊される…というのが、今、SNSでの「デモ」が展開されている大きな理由だと考えます。
15日には、松尾邦弘・元検事総長をはじめ、検察OB有志の皆さんが、検察庁法改正に反対する意見書を出されています。
私は、その記者会見のニュースを見て、涙がこぼれそうになりました。
相当な思いでその場にいる高齢の元法曹官僚たちの思い。そして、果たしてその「意見」を聞く政府なのだろうかと。
「本年2月13日衆議院本会議で、安倍総理大臣は『検察官にも国家公務員法の適用があると従来の解釈を変更することにした』旨述べた。これは、本来国会の権限である法律改正の手続きを経ずに内閣による解釈だけで法律の解釈運用を変更したという宣言であって、フランスの絶対王制を確立し君臨したルイ14世の言葉として伝えられる『朕(ちん)は国家である』との中世の亡霊のような言葉を彷彿(ほうふつ)とさせるような姿勢であり、近代国家の基本理念である三権分立主義の否定にもつながりかねない危険性を含んでいる。
時代背景は異なるが17世紀の高名な政治思想家ジョン・ロックはその著『統治二論』(加藤節訳、岩波文庫)の中で『法が終わるところ、暴政が始まる』と警告している。心すべき言葉である。」
「意見書」の言葉の抜粋です。
普通の平時の良識ある政府に向かってこんな言葉を使えば、芝居じみた話にもなりますが、事は、ここまで深刻なのだと思います。
この言葉を聞いて、改めて、涙が止まらなかったです。
地方議会の一議員としてというよりも、主権者の一人として、なんとか、この暴走を今、止めなければと思います。