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私の3月11日…。

鍋島古龍書。父の書でした。

本日は、もちろん、東日本大震災の震災忌です。

しかし、私にとっては、実は、父の命日でもありました。

3月11日。しかも、東日本大震災の前年。2010年の3月11日に彼は他界しました。

その日は、もう一つ実は、というのがありまして、彼と彼女(私の母)の結婚60周年の日でもありました。癌という病を得て丸4年。その間、私が市議会議員に立候補するという話にもなり、ちょうど、抗がん剤の治療が少し奏功して、軽快してきたころに、私の初めての選挙がありました。

母と二人で選挙ポスターを貼ってくれたのが、今思えば、この感謝以外のなにものでもありません。

彼は、実は元、自民党の熱心な支持者であり、かつて、社民党の前身である社会党のことは、なぜか、頭ごなしに批判していました。何が、どう、ダメなのか、説明しないまま、この世を去ってしまいました。
それでも、私の市議会議員選挙に関して「出るな」などとは一切、言いませんでしたし、むしろ「何か配るものはないんか?」と言ってくれ、私の簡単な政治姿勢などと、推薦者3人の方の推薦の言葉と写真と名前の入ったチラシを受け取って、知人の市民の方に渡してくれたのではないかと思います。

推薦の言葉を入れてくださっていたその中の1人が、父とは全く同年代の父の考えでは認められない社会党の土井たか子さんでした。
彼があれほど批判していたその党の元党首でもあった人が載っている私のチラシを父は、自分の知人に手渡していたのかと思うと、この頃になって、感謝の念がどんどんわいてくるのでありました。

震災忌に、まだまだ、震災そのもののことを語る気持ちになれません。実は、3月11日もそうだし、1月17日はもっと、そんな心理状態になります。


ということで、同じ命日である父のことを少し書いてみました。
改めて、言えば、父は、書家でしたが、私たち子どもが次々と生まれて、生活の安定を考えたのか、あっさりと、書家を続けることをやめたようです。弱冠二十歳で日展の「書」部門で、入選したと、知ったのは、私たち子どもが、成長してからでした。
今日、載せてる書は、親戚の家に行って、何か書いて、と言われて、その辺にあった、筆で即席に書いたよな雰囲気の字ですが、父の書の面影はあります。

この年になって、ようやく、彼に「感謝」と思えるようになってきた、と懺悔しています。

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